自称SOHOかつ自称インテリは始末に負えない

以前、東京近郊にある国立大学を出た自称SOHOの女性の「ダブルブッキング」を例に出した。

そのときに書いたのは、

いくら名門大学や大会社に入ったことがあるといっても、それだけでスキルは保証できない。

ということだ。

これは、採用する側だけでなく、採用される側(つまり本人)もきちんと認識しておいてほしいことである。

根拠のない世間知らずの自信や自負が、仕事を進める上でマイナスになる場合があるからだ。

過日、ある「有名」大卒ライターの女性(自称SOHO)が、お願いした原稿に、「パラダイム」なる言葉を使っていた。

私は、2つの理由から、別の言葉に置き換えるように命じた。

ひとつは、「言葉の成金」原稿を認めないという私の方針による。

必然性のないカタカナ言葉や独りよがりの新造語を並べた、もっともらしいが中身のない原稿は表現者にとって恥である。「言葉の成金」とは、萩本欽一さんが教えてくれた戒め的な表現である。けだし至言だ。

もうひとつの理由は、(このときはこれがより問題なのだが)「パラダイム」という言葉自体が問題だったからである。

トーマス・S・クーン初出のこの言葉は、科学史上の「一定期間の規範」という意味で使われたが、そもそも科学的な用語として認知されているわけではない。

ところが、それが一人歩きして、今では「物の考え方」「概念」「計画」「潮流」「段落」等々、様々な意味合いで安易に使われ、もはやクーンの意図すら大きく逸脱してしまった正体不明の便利言葉に成り下がっているのだ。

おそらく、この大卒ライター(自称SOHO)は、「パラダイム」についてそこまで知っていたわけではなく、たんに、「格好いい言葉でまとめたい」という安直な気持ちで使っただけだと思う。

残念ながら、そういう見せかけを私は許さない。そんな「成金」ではなく、もっと地道な原稿を書いて欲しいのだ。

ところが、私の指示に彼女はこう答えてきた。

「パラダイムという言葉を知らない読者たちの水準を合わせるという意味で、直すことにします」

負けず嫌いは勝手だが、こちらはそういうことを言ってるんじゃないだろう。

安易に、問題のある言葉を使っているという反省をしようとせず滑稽に突っ張っている彼女に、私は失笑を禁じ得なかった。

また、同じ原稿だったが、ある事実について、認識不足としかいいようのない間違いも見つかった。

そこで、そちらについても、正確な事実関係を説明した上で直すように指示すると、今度はこんな回答が返ってきた。

「そのこと(正確な事実関係)は知っていました。ただ、もしもそうじゃなければ、という展開で書いてみても面白いと思ったんです」

さすがにこれには、開いた口がふさがらなかった。

誰も「ドリフのコント(もし......なら)」を書いてくれと頼んではいないのだ。

もちろん、これまたデマカセの言い訳であるろう。要するに、自分が無知であるという理由で突きつけられた直しは、ご自分のプライドが許さないらしい。

しかし、そんな「プライド」にいったい何の意味や説得力があるのか。

少なくとも使う方は、そんな自称インテリとは面倒くさくて金輪際お付き合いはゴメンだ、と思うだけである。
何より本当のインテリになりたかったら、間違いが発覚したところからが大事ではないのかな?


「なんちゃってSOHO」は、男社会で勘違いした女性という生き物の象徴かもしれない。無知を恥じずに開き直って甘えるか、もしくは無知を強引に糊塗してつんのめっているのか......。

自分の能力は他人にも自分にもごまかせるものではないし、また何の努力もなく思い通りになれるわけでもない。

ありのままの自分を冷徹にとらえ、そこから地道に頑張るということを考えてみたらどうなんだろうか。学問がそうであるように、仕事にも王道などはないのだ。あったら誰も苦労などしない。


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